東光寺は「真宗興正派」という浄土真宗の一宗派に属する寺院です。
南無阿弥陀仏のお念仏の教えを拠り所にし、その教えを通して、すべての人が心豊かに、一度きりの人生を精一杯歩んでいけることを目指しています。

お知らせ
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令和7年うどん講のご案内
令和7年度のうどん講の法要を次のとおり勤めます。うどん講では御斎(おとき)に、うどんをご用意します。
お昼に御斎を召し上がっていただいた後、法要を勤めます。ぜひお誘い合わせの上、お参詣ください。法要 6月19日(木)、20日(金)午後1時~
御斎 両日とも正午から

ひと言法話
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一粒一滴みなご恩
一粒一滴みなご恩 不足を言ってはもったいない
感謝でおいしくいただきましょう いただきます真宗興正派の食前の言葉です。私が子どもの頃から食事の前に手を合わせて、口にしてきた言葉です。
昨今の米の価格高騰による騒動を通じた様々な報道の中で、米農家の方々がいかに苦労してお米を栽培し、それを私たちが頂いていたのかということを改めて知り、この食前の言葉の持つ意味をかみしめました。「米などいつでも買える」「あって当たり前」と考えている自分がいましたが、その当たり前とは、米一粒にも、たくさんの「おかげさま」が働いてくださっていることに、全く眼が向いていなかったということです。「一粒一滴・・・」と言っていたのは、まさに口先だけであったと恥ずかしく思うことです。
私たちは古来、仏前には、まずお仏飯をお供えしてきました。それは、お米が私たち日本人の主食であり、私たちにとって最も大切な糧を仏さまに最初に供え、敬い讃える意味があるからです。しかし、現代は飽食の時代となり、米の消費量が落ち、ご飯以外の様々な食べ物を求めるようになりました。その中で、すっかりお仏飯の意味合いさえも見失ってしまっている私たちの姿があるように思います。
この度の米騒動を通して、多くの人が、日本人は米によって生きてきた民族であるということを再認識させられ、その糧をいかに大切にしていかねばならないかを考えさせられたのではないでしょうか。実は、ずっと昔から、毎朝のお仏飯を通して、そのことを教わり続けていたはずなのですが、そのことに気付かず、逆に不足ばかりを言っていたもったいない私の姿がありました。
米の一粒にも汁の一滴にも仏様が宿る・・・この時代に生きる私たちが改めて心に留め置かなくてはならない大切な考え方です。

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