アメリカで銃の乱射事件が頻発しています。事件が起こる度、銃規制について論争となるものの、結局何も変わっていません。あれほど悲しい事件がたびたび起こっているのに、何も変わらないのは何故なのでしょう?一旦拡大した武力には、様々な要素が絡まりあって、なお一層減らしていくことが難しくなるのでしょうか。
武器や武力とは、他人を脅し、殺傷することが目的のものです。ですから、本来は無い方が良いに決まっています。ですが、誰かが自分を護る目的で武器を持ち始めると、武器を持たない人は持っていないことに不安を覚えます。そして、「より強力な武器を持てば安心」「武器を持っているからこそ相手の攻撃を抑止できて安全になる」という、今のアメリカが陥っている負の思考回路にはまってしまいます。
これは今、日本をはじめ世界中の国々が、他国の脅威に対抗するためにと軍事力増強に傾いている状況と同じです。
武器・武力の増大による平穏は一時的なものです。そして、本当の平穏ではありません。「相手より強力に」と常に考えるのが人間ですから、軍拡に歯止めがきかなくなるでしょう。相手を傷つけるための武器がそこかしこに在れば、いずれどこかで暴発が起こります。
人間同士が、愚かにも殺し合うことが無くなるように、武力を持たずして平穏を成り立たせることは出来ないのでしょうか。アメリカの銃規制が一向に進まないように、世界の軍縮も一向に進んでいきません。実に情けなく、悲しいことであります。
お釈迦様は、このように仰っております
われらは怨(うら)み憎しみあう人々の中にありて、怨みもなく憎しみもなく安らかに生きたい
『法句経』
われらは怨み憎しみを抱く人々の中にありて、怨みも憎しみもなくありたい
私たち人間が本当に求めるべき、生き方なのではないでしょうか。