だんだんと温かくなり、草木が芽吹き、花が咲く、素敵な時候になって参りました。
軒先にある私の家庭菜園と花壇も、緑が鮮やかになって参りました。が、しかしちょっと手入れをサボっている内に、花壇にはスギナがぐんぐん成長し、存在感を放ち始めました。
いよいよ見て見ぬふりができなくなってきましたので、昨日ようやく雑草抜きに取りかかったのですが、立派に成長したスギナのたくましさには驚かされました。
スギナは地下茎を伸ばして増えますが、一体どこまで繋がっているのか…と思うほど、長く立派な根が埋まっています。全て掘り返す訳にもいかず、「どうせまた伸びてくるよね」と溜息をこぼしながら、引っこ抜いていました。
そうやって、あれこれ考えながら作業している内に、見えないところで根が繋がりあって、土の表面に出てきているスギナの様子を見て、
「これって人間も一緒だな。みんな見えないところでご縁によって繋がっているんだな。」
ということを、ふと、思いました。
自分の目の前にいる人は、どれだけ深い縁をもって見えないところで繋がっていたことか…。
「一切(いっさい)の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟(ぶもきょうだい)なり。」
(すべての生きとし生けるものは、みな生まれ変わり死に変わりする中で、父母であり兄弟であったのだ)
『歎異抄』第5条
と親鸞聖人が仰っているように、私たちの想いが及ばないほど深いところで、みな繋がり合い、たまたま縁あって、いま出遇うことが出来ているのでしょう。
今は、コロナによって「人付き合い」というものが変化し、以前より、人間同士のつながりが希薄になっているかもしれません。そういう時だからこそ、せっかく出会うことが出来た目の前の人とのご縁の深さに想いを致し、その出遇いを大切にしていかなくてならないな、と改めて感じさせられます。
やっかいなスギナが、何だか大事なことを教えてくれたような気がします。…だとしても、そんなに生えてこないで…。