先日、お参りに行った先で、「先祖代々という言葉は、すでに死語になっているらしいよ」というお話を伺いました。
たしかに昨今は、生まれ育った土地を離れて生活する人が増え、「家」や「仏壇」・「墓」・「土地」など、代々受け継がれてきたものが、継承しにくくなってきています。
昔よりも交通が便利になったこともあり、「住」生活の仕組みも変化しているのですから、それも致し方ないことと思いますし、社会の変化の中で、「当たり前」だと思われていたことが過去のものになっていき、新しい「標準」が出来あがっていくことは、決して悪いこととは思いません。
そうした中で「先祖代々」という言葉が用いられなくなることは、必然だったのかもしれませんが、その言葉とともに、考え方そのものも無くなってしまうのでしょうか。
社会が変わったからと言って、「大切なこと」まで「過去のもの・不要なもの」として捨て去ってしまうわけにはいきません。それでは、私たちの人生そのものが、大切なものを忘れた空虚な人生になってしまうことでしょう。
私は住職として、仏壇や寺との関係、家や土地などを、過去の伝統の通りに継承していくことが、本当に大切なことだと言うつもりはありません。それが難しいのであれば、社会の変化に対応できる、何か良い方法を探すべきでしょう。
一番肝心なことは、継承の仕方・形というよりも、私たちの「今」が、果てしない「過去」から繋がっているということに「想いを致すことが出来るかどうか」ではないでしょうか。それは言い換えれば、自分のいのちの尊さや重みに気づいていくことが出来るかどうかということだと思います。
まもなくお盆を迎えます。せっかくのご縁ですから、お盆参りを勤める中で、家族揃って「先祖代々のいのち」に想いを致してみませんか。先往く人々の存在を感じ取って、それをひとりひとりの心の中に継承していけることが、とっても大切で素敵なことではないでしょうか。