まもなく春のお彼岸を迎えます。そろそろ仏前のお供えやお花を買いに行かなくてはいけませんね。
さて、冬の間お寺の本堂は外と同じくらい気温が下がり、生花だと半日で凍ってしまうため、日頃は造花をお飾りしています。
造花の中には、いかにも造花という感じのものと、一目では見分けがつかないような精巧なものがあります。その違いは何なのかと比べてみると、そもそも材質が違うということもあるのですが、それと共に、精巧な作りの方には、葉や花の色・形が異なるものが混じっていることで、リアルさが感じられます。
いかにも…という造花は、妙な光沢に加えて、葉や花が全部同じで不自然です。
自分が育てている観葉植物を見てみると、きれいな葉ばかりでなく形がいびつなもの、黄色くなって落ちそうなもの、出てきたばかりの小さなもの、穴の開いたもの、黒ずんだもの、など見た目の違う葉が沢山入り混じっています。
機械で大量生産する造花は、手間をかけられませんから、そのような葉や花の違いが表現しきれないのでしょう。
全てが同じではなく、大きさや形、色、新旧、様々な違いを持ったものが、共存しているのが本当の自然の姿なのだと気付かされます。
私たちの人間も自然の一部です。違いがあることが本当の姿なのです。
自分と違うから、少数派だからという理由で、拒絶し排除するのではなく、あらゆる人が必要な存在として認められ、それぞれが輝いている「本当」の世の中を目指していかねばなりませんね。