パリオリンピックが始まり、どの競技でも連日手に汗握る勝負が繰り広げられています。
開会式では、各国の選手がセーヌ川を船に乗って登場しましたが、国を代表して、あの船に乗るということだけでも、これまで途方もない努力や苦労を重ねてきた結果だと言うのに、さらにこれから厳しい試合を勝ち抜いて、頂点を目指さなくてはならないというのですから、私のような凡人にとっては、雲上界の出来事のようです。選手の皆さんを尊敬するばかりです。
さて、そんな風にテレビの中の開会式の様子を眺めながら、
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
「生死の迷いの苦しみは海のように深く際限がない。その苦しみの海に、遙か昔から浮き沈みしている私たちを、阿弥陀仏の本願の船だけが、必ず乗せて、安楽の浄土へと導いてくださるのである。」
『浄土和讃』
という親鸞聖人の書かれた和讃のことをふと思い出しました。
阿弥陀様の本願のはたらきを、親鸞聖人は「ふね」に例えられていらっしゃるのですが、私が「オリンピック選手はすごいな、あんな風になれたらな」とどんなに願っても、開会式のあの船には乗ることは、まず不可能です。
しかし、阿弥陀様の本願の船には、オリンピック選手であろうとも、凡人の私であろうとも、等しく乗せて頂くことができます。
念仏を信じ称える者は、生まれ持った性格や才能も、生きてきた環境も、これまでしてきた行為も、全く異なっていても、一切の差別なく、等しく乗せて、必ずお浄土へと渡してくださるのが「弥陀弘誓のふね」だからです。
オリンピックの金メダルを獲得する喜びは、今生ではどうやっても私には得ることはできませんが、阿弥陀様の浄土の世界に呼び起こされて、「いのちの拠り所」を知る喜びは、私のような凡夫にも等しく与えられていることに、深く安堵させて頂くことであります。