春の永代経法要

春季永代経法要と納骨堂法要を、次のとおり勤修いたします。
4月2日(日)午後1時~
4月3日(月)午前10時~

布教:本山出役布教師  川田 信五 師
 

コロナ禍により中止されていた本山出役布教が、今年から再開されます。この度は、香川県三本松より川田信五師が布教使として出役されます。どうぞ、お誘い合わせの上、ご聴聞ください。

言葉

3月1日。
高校三年生の長男の卒業式に出席して参りました。

コロナによって、大切な高校三年間を、沢山の苦労や我慢と共に生活することになった彼ら。これからの新しい日々が、希望に溢れ、明るく照らされていくことを願うばかりです。

さて、彼らは今後広い社会に出て、より多くの「言葉」に出遇うことでしょう。私たちは言語を用いて思考し、活動しますから、どのような言葉に出遇うかということは、とても重要です。学業や仕事に励む中で、きっと自らが支えられ、人生の導きとなるような素晴らしい言葉との出遇いがあるはずです。

「善悪の二つ総じてもつて存知せざるなり。
  中略
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」

『歎異抄』後序

私は、大学に進んだ頃、この『歎異抄』の一節に初めて出遇って大きな衝撃を受けました。それまでの私の考え方や知識をひっくり返すような力のある言葉でした。

親鸞という人物は一体何を伝えたのか、そして、その人が「ただひとつのまこと」と言った念仏とは何なのだろうと、この『歎異抄』の言葉を通して、浄土真宗の教えに深く興味を抱いたことでありました。

「そらごと」「たわごと」が溢れかえる世の中だが、しかしその中で、自分の人生を支えてくれる「まこと」の言葉がある。親鸞聖人は、それが「南無阿弥陀仏」なのだと受け止められています。親鸞聖人も、法然上人を通じて、念仏というまことの言葉に出遇い、何度挫折しようとも立ち上がり歩んで来られたのでしょう。

「ほんとう」の言葉には、自らを支えてくれる大きな力があります。人生を照らし、歩む道を明らかにしてくれる、かけがえのない言葉に、どうか彼らが出遇えますように・・・心から願っています。

春のお彼岸法要

令和5年の春のお彼岸法要を次のとおり勤修します。

令和5年3月19日(日)~21日(火・祝)
各日午後1時より
法話 住職・前住

春分の日を中日とする一週間が、「春のお彼岸」の期間ですが、東光寺では、上記の3日間法要を勤めます。どうぞお誘い合わせの上御参詣ください。

春分の日には太陽が真西に沈んでいきます。『仏説阿弥陀経』には「これより西方十万億仏土を過ぎて仏国土有り」と、西方には阿弥陀様の極楽浄土が在ると説かれています。

西方にまします阿弥陀仏、そして極楽浄土で諸仏となってゆかれた亡き大切な方々の深い恩があればこそ、私たちはお念仏に出遇うことが出来たのでありましょう。いまこの時、この私が、確かにお浄土へと向かわせて頂く身に育てられているのです。

お彼岸のご縁には、西方浄土から「まかせてくれよ。必ず助けるぞ。」と誓ってくださっている阿弥陀様のご本願に想いを致し、そして大切な亡き人を偲びつつ、御恩に報いていく感謝のお念仏を称えさせて頂きましょう。

慶讃法要

今年は親鸞聖人御誕生850年ならびに立教開宗800年のアニバーサリーイヤーです。 

私たち真宗興正派では、4月18日から20日まで、本山興正寺にて慶讃法要を勤修します。【詳しくは本山興正寺のHPへ】

北海道教区第五組の本山団体参拝に興味のある方は、まだ間に合いますので、どうぞお問い合わせください。

鎌倉時代

昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を後から見ようと全話録画したままになっていました。
それをようやく年明けから見始め、先日最終回を迎えました。

今さらですが「鎌倉ロス」です…。

終盤は一日一話どころか、時間の許す限り見入ってしまいました。

物語は、伊豆の小さな豪族に過ぎなかった北条家が、鎌倉幕府の執権として権力を掴んでいく様子が描かれました。
中盤から終盤にかけては、鎌倉や北条家に仇となる人物は悉く、執権となった北条義時の謀略によって命が奪われていくという重たい展開だったものの、登場人物には人間くささが溢れ、心打たれる場面も多く、見続けてしまった次第です。

ところで、鎌倉で有名なものの一つに「大仏」があります。鎌倉の大仏は、1252(建長4)年に鋳造が開始されたこと以外、はっきりしたことは分かっていないそうですが、一説によれば、奈良の大仏の復旧に尽力した源頼朝と北条政子が、鎌倉にも大仏建立を発願したとか。

頼朝はその数年後に没したため、完成を見ることはなかったそうですが、その意思は後の者に引き継がれ、関東を代表する見事な大仏が完成したのですね。
大河ドラマの作中では、大仏に関わる話には触れられなかったものの、登場人物が神仏に祈るシーンは、たびたび出て参りました。その描写の通り、当時の人々は、私たち現代人よりもはるかに神仏の存在を身近に感じ取り、畏れ敬っていたのでしょう。

ちなみに、鎌倉の大仏さまは、私たち真宗門徒が拠り所としている「阿弥陀如来」です。奈良の大仏さま(盧舎那仏)とは異なる阿弥陀如来像を建立した理由は詳しく分かりませんが、源頼朝や北条政子をはじめ、鎌倉の多くの人々が阿弥陀仏を信じ、極楽浄土への往生を願っていたのかもしれません。
ドラマで描かれていたように、国を統治していくために人の命がいとも簡単に奪われていく戦乱の世では、阿弥陀仏の浄土を願わずにはおれなかったのでしょうか。

鎌倉時代初期は、法然上人や親鸞聖人がご活躍なされた真っ只中です。法然上人の法語録には、北条政子との手紙のやり取りと言われる言葉が残っていますが、果たして二人がどこかで実際に顔を合わせ、法然上人の教えを政子が聞いたことはあったのか・・・。
また、親鸞聖人が関東にいらっしゃった頃、鎌倉との関わりはあったのか・・・。
いろいろと空想が膨らむこの頃です。

今こそ

今年(令和4年)の元日、「今年こそは・・・」と決意したことがいくつかあります。恥ずかしいので、全ては申しませんが、その中の一つが「日記を付ける」ということでした。

一日を振り返る時間をつくり、自分の行動を見つめ直そう…という志は、我ながら立派だったのですが、案の定、三日坊主で終了してしまいました。

「今日は時間がないから、明日書こう。」と思ったが最後、「明日こそ書こう」「来週からやり直そう」「来月には始めよう」・・・。
そんな日々を繰り返し、気付けば一年の終わりを迎えてしまいました。

さらに、今この期に及んで「来年こそは…」と、考えている自分自身がいることも滑稽です。実は、この3年ほど全く同じことを繰り返しております。あぁ、恥ずかしい。

さて、私の三日坊主の話は、脇に置いておきまして、私たちには、「明日でいいや」などと言っていられない、もっともっと大切な問題があります。

それは、私自身がいったい何処に向かって、この人生を歩んでいるのか、ということです。せっかくの人生、一度きりの人生を、目的なく、成り行き任せに生きていくのでは実に勿体ないことではないでしょうか?

本願寺第八代の蓮如上人の言葉として、次のようなものが伝えられています。

「佛法には明日と申ことあるまじく候 佛法のことはいそげいそげと仰られ候」

『蓮如上人一悟記』

仏法を聴聞し、お浄土を拠り所として、確かな人生を歩んでいく。このことは私たち人間にとっての命題と言えるのではないでしょうか。

日記を書く程度のことだから「明日から…」と先送りにしてたとしても、さほど不都合はなかったのです。
しかし、自分の人生の問題ならば、どうでしょう。「明日でいい」と先送りにしてしまうと、一年どころか、あっと言う間に一生が過ぎ、気がつけば空しく過ぎゆく人生だった…とぼやき、嘆きながら終えていくことになってしまうかもしれません。

だからこそ、蓮如上人は、「仏法には明日があるなどと思うな。今こそ求めよ。急げ急げ」と、お伝えくださったことであります。

人生の拠り所を求めるのに、早すぎることはありません。

まもなく新年を迎えますが、「年が明けてから」と言わず、「今こそ最善の時」として仏法を求め、お浄土という確かな目的を持った人生を歩ませて頂きましょう。

新年のお参り

【修正会】のご案内

令和5年1月1日(日)午前9時より

例年、元日を迎えると同時に勤めていた修正会ですが、来年は元日の午前9時から勤めます。
新年のはじめに、仏前にご挨拶し、心あらたに過ごして参りましょう。

【はつまいり】のご案内

令和5年1月11日(水)午後1時より

今回もコロナ対策として会食は控え、午後から勤めることとします。
まずは、本堂で「正信偈」を拝読し、住職法話の後、広間でレクレーションを行います。
今回は、社会福祉協議会のご協力を頂いて「ふまねっと運動」を体験します。とっても楽しい運動ですので、ぜひご参加ください!


報恩講

親鸞聖人は、旧暦1262年11月28日に御往生されたと伝えられています。京都の本山興正寺では11月21日から28日まで、親鸞聖人の御命日法要である「報恩講」を勤修しています。
また、宗門の各末寺でも、本山報恩講と時期が重ならないように日程を調整し、報恩講を勤めます。(東光寺は毎年8月24日~25日です。)

報恩講とは「御恩に報いる」法要ということですが、日頃、我々はどれほど「恩」ということを、意識しながら生活しているでしょうか?

私と言えば、たくさんの「お陰様」の中で、支えられ助けられ、よっぽどの深いご縁があって、ようやくお念仏の教えに出遇わさせてもらっているはずなのに、それをすっかり当たり前のような顔をして、毎日を過ごしています。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

『正像末和讃』

いつもご家庭でのお勤めの時に、拝読している『恩徳讃』です。
親鸞聖人は、自らが感じ取られた阿弥陀如来の御恩、そして師主知識(お釈迦様や七高僧さま)の御恩に対する、深い感謝をこの和讃に込められています。

私たちも、まずは自らが頂いている御恩に気付いていかなくては、報謝の気持ちも起こって参りません。

本日は親鸞聖人の760年目の御命日をお迎えしました。改めて一人一人が自分が頂いている御恩に心をかたむけて参りましょう。
また近隣の御門徒さまのご家庭には、12月から1月にかけて報恩講づとめに参ります。どうぞ一緒に「正信偈」を拝読し、お念仏の御教えを味わう中で、御恩の深さに想いを致す大切な機会にして参りましょう。

まっさらな一日がはじまる

気がつけば、もう11月です。今年も残り2ヶ月です。
「ひとこと法話を更新せねば…」と思いながら、ついつい先延ばしにし、結局10月は更新しないままに終わってしまいました。
反省です。

思えばこの一年も、
「明日がある」「明日やればいい」
そんな考え方を繰り返し、気づけばあっという間に過ぎ去ってしまいました。

先日、パラパラとめくっていた雑誌の中に
「今日もまた まっさらな一日がはじまる」
という言葉がありました。

何となく過ごす日々を繰り返し、一日一日、新しい自分が誕生していることなどすっかり忘れ切っている私。
新しい一日を迎えられたことを喜び、そして、せっかく迎えられたその一日を、精一杯生きていかなくては勿体ない。

たまたま出遇った言葉に、大事なことを気付かされました。

ただ、それでもやっぱり怠け心が先陣きってはたらく自分がいます。

令和4年度 秋季永代経・納骨堂法要について

秋の永代経法要と納骨堂法要を次のとおり勤めます。

令和4年11月20日(日)午後1時〜
令和4年11月21日(月)午前10時〜

先往く大切な方々のおかげによって、今を生きる私達が南無阿弥陀仏のみ教えに出会い、まことの拠り所としていくことができるのです。

深い恩を想い、感謝の法要を勤めましょう。どうぞご参詣ください。