想いが重なる

 先日、JRで札幌まで出張に出掛けた時のことです。遠軽駅に到着したところで、信号機トラブルが発生しました。車内アナウンスによれば、修理業者が到着までは30分ほどかかり、それから作業に取りかかるので、出発の時間は今のところ未定とのこと。

 もともと札幌まで5時間半の長旅ですから、多少時間が延びても仕方ないと思ったものの、果たしてどれだけ待つことになるやら…と若干心配になっていたところ、しばらくして再度車内アナウンスが流れ、「乗客の皆様に非常食とお水をお配りします」とのこと。非常食と水って…いったい何時間かかる見込みなの!?と多くの乗客が思ったらしく、にわかに車内がざわつきました。  
 私と言えば、水もお菓子も(ビールも)しっかり用意してきていましたので、「荷物が増えるだけだし要らないなぁ」「そんなことより、早く直して出発してよ~」という気持ちが先行しており、お断りしようかと思ったのでした。

 さて、しばらくして車掌さんが一人一人に、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」と丁寧にお詫びしながら、お水と非常食(カロリーメイト)を配っています。すると、私の数列前のご婦人方のところで、「ありがとうございます~!」と、とても明るく嬉しそうな声が聞こえてきました。それまで何となく重く感じられた車内の空気が、ふと軽くなったような気がしました。

 その時、はっと気付いたことがありました。

 車掌さんからすれば、お詫びしながら席をまわるのは大変なことです。苦情を言われたこともあったかもしれません。そういう中で、このご婦人方のように、素直に明るく感謝の気持ちを伝えてくれたら、どれだけ心が和らいで軽くなったことでしょうか。
 自分の都合のことだけを考え、「要らないから受け取らないでおこう」などと思っていた自分を、「なんて心の狭い人間なんだろう」と深く反省しました。
 与える側も受け取る側も、お互いが存在しなければ成り立ちません。そして両者の想い(相手への思い遣り)がぴたりと合わされば、そこはおのずと温かく明るい雰囲気になっていくのでしょう。

 さて、私たちが両手を合わせ合掌する姿には、片方の手には阿弥陀様のお慈悲が、もう片方の手にはそのお慈悲をいただく私たちの心が表されていて、両者がピタリと合わさったなら、そこには大きな安らぎが生まれてくるのだよと聞かせてもらったことがあります。
 阿弥陀様は私たちに向かって、手のひらを広げて常にお待ちくださっていますが、そこになかなかうまく手を合わせられない、自分の都合ばかりの姿があります。見せかけだけの自分の合掌の姿に深く反省させられることであります。

 さて、JRの信号トラブルですが、その後、間もなく復旧し、結局1時間ほどの停車で出発できました。が、その後、上川付近で今度は鹿に衝突し、1時間半ほど緊急停車…。結局、8時間もかかって札幌に到着したのでした。宿所に入った時、予め鞄に入れておいた飲食物はすでに消費し尽くし、手元にあったのはJRで配られたお水と非常食のみでした。
 「車掌さんありがとう…」

うどん講・中興忌法要

令和8年のうどん講と中興忌法要を次のとおり勤めます。御斎(おとき)に、うどんをご用意します。
お昼に御斎を召し上がっていただいた後、法要を勤めます。ぜひお誘い合わせの上、お参詣ください。

法要 6月18日(木)、19日(金)午後1時~
御斎 両日とも正午から

令和8年春季永代経・納骨堂法要のご案内

令和8年の春季永代経法要と納骨堂法要を次のとおり勤めます。

令和8年4月2日(木)午後1時〜
令和8年4月3日(金)午前10時〜

法話 本山出役布教使 谷口亮昭 師

春季永代経法要は本山出役法座として勤めます。
本山出役法座とは、本山より任命された布教使が、各寺院に派遣され(出役)、布教にあたる法座です。
本年は、兵庫県より谷口亮昭師が出役されます。
大切な聞法の機会ですので、どうぞお誘い合わせの上、ご参詣ください。

令和8年 春季彼岸会

令和8年3月18日(水)~20日(金・祝)
各日午後1時より
法話:住職自役
※20日(木)は午前11時より物故者追弔法要を勤修します

だんだんと日が長くなり、春が近づいてきたことを感じます。
東光寺では、春分の日までの3日間、彼岸法要を勤めます。
念仏聞法を通して、休らぎある日々を送らせていただきましょう。ぜひお誘い合わせの上、お参りください。

なお、20日(木)は午前11時より令和7年度物故者追弔法要が勤修されます。物故者のご家族以外の方もお参り頂けます。
参詣の皆様には東光寺三宝の会より、御斎(おとき)が進上されますので、お召し上がり頂き、午後からのお彼岸法要にもお参りください。

令和8年春季彼岸会

令和8年3月18日(水)~20日(金・祝)
各日午後1時より
法話:住職自役
※20日(金)は午前11時より物故者追弔法要を勤修します

東光寺では、春分の日までの3日間、彼岸法要を勤めます。
安心ある日暮らしを送っていくために、お念仏のいわれをたずねる聞法の機会を大切にして参りましょう。
ぜひお誘い合わせの上、お参りください。

なお、20日(金)は午前11時より令和7年度物故者追弔法要が勤修されます。物故者のご家族以外の方もお参り頂けます。
参詣の皆様には東光寺三宝の会より、御斎(おとき)が進上されますので、お召し上がり頂き、午後からのお彼岸法要にもお参りください。

根を養えば樹は自ら育つ

先日、某テレビ番組で特集されていたのですが、近頃「盆栽」が流行しているそうですね。日本のみならず、特にヨーロッパ圏を中心として、世界中で愛好家が増えており、ビジネス面でも規模が拡大しているようです。

某番組内では、盆栽を扱う新進気鋭の会社の代表が登場し、盆栽を紹介していましたが、今までの「オジさん趣味」的なイメージから、盆栽を見て「かっこいいな」と思えるようなアートとして、新たな価値観を提供することに成功していたように感じます。

私は盆栽にチャレンジしたことがありませんが、観葉植物好きの人間としては、非常に興味がそそられた放送でした。

その代表が言った、「盆栽は根が大事なのだ。見えない根をしっかりと育てるからこそ、目に見える幹の部分が美しくなるのだ」という言葉にうなずきました。

私の育てている観葉植物も全くその通りです。根がしっかり張っていれば、北海道の冬の寒さで葉っぱが全て落ちてしまっても、次の春には新しい葉がつき、元通りになります。

「見えないところこそ大切に育てねばならない」ということは、私たち人間そのものにも、当てはまる言葉でしょう。
どんなにお金をかけ、着飾ったとしても、自らの心根が育っていなければ、虚飾にすぎないでしょう。逆を言えば、何も飾らなくとも、心根の美しさは自然と表面に現れてくるように思います。

今回のタイトルは、浄土真宗の僧侶であり、初等教育を大切にし、「いのちの教育」の実践者であった東井義雄先生が残された言葉です。私たちは土台となる「根」を養っていくなかで、その生き様や人間性が自然と育まれていくということでありましょう。
植物は、水と養分と温度によって根が育っていきますが、私たち人間は「根」を養うために教えが必要なのです。

仏教は、我が身の在り方を深く見つめ、自分勝手な生き方を反省し、深い恩を知り、おかげさまと感謝できる心根を育てていく教えです。せっかく頂いた一度きりの人生です。仏さまの教えに耳を傾け、太く深い根を養っていきたいものです。

報恩講

 今年も残す所2ヶ月少々となりました。来月11月は、私たち真宗門徒が大切にしている宗祖親鸞聖人報恩講が、京都の本山興正寺で厳修されます。
 報恩講とは、親鸞聖人のご命日の法要です。言うなれば私たちが日頃お勤めする有縁の方の一周忌や三回忌などのご法事と同じです。親鸞聖人は旧暦の1262年11月28日がご命日と伝えられていますので、今年は764回忌のご法事ということになるでしょうか。
 末寺では、本山での御正忌報恩講の日程から外して報恩講を勤めますので、東光寺では8月に勤めさせていただいたところです。

 さて、私たちがご法事を勤めることの意味は、先往く人を偲ぶ中で、仏縁に出遇ったことを喜び、私たちに残してくださった御恩に想いを致すことです。その中で、報謝の心を育み、この人生を喜び歩ませてもらうことが大切なのです。
 ご法事は、今を生きる私たちのためにこそ勤められ、それは亡き人が残してくださった勝縁であると味わっていかねばならないでしょう。

 親鸞聖人の御命日法要である報恩講も、同じ事が言えます。自分がお念仏の御法に出遇えた喜びと、そのご縁を結んでくださった親鸞聖人の深い御恩に想いを致してゆく法要です。
 しかし、よくよく省みると、恥ずかしながら、日々の仕事や生活に追われて慌ただしく過ごす中で、その御恩などすっかり忘れ、当たり前のように生きている自分がいます。
 この度の本山報恩講では、式務員(お堂で勤行を務める役職)として、4日間お勤めさせていただきますので、改めて自分の姿勢を省みて、宗祖や先達の御恩を想いながら、心を込めて務めさせて頂きたいと思います。

 本山興正寺の報恩講は24日からYouTubeでライブ配信されます。ぜひオンラインでご参拝ください。
本山興正寺チャンネル – YouTube

令和7年秋季永代経・納骨堂法要のお知らせ

令和7年度の秋季永代経法要と納骨堂法要を次のとおり勤めます。

令和7年11月20日(木)午後1時〜
令和7年11月21日(金)午前10時〜

法話 住職自役

1日目は本堂で法要を務めてから、納骨堂法要を行います。
2日目は納骨堂法要の後、本堂で法要を務めます。
開始時間が異なりますので、ご注意ください。

 先往く大切な方々を偲ぶ中で、南無阿弥陀仏のみ教えをたずね、いまを生きる私たちが、まことの拠り所を持っていくことができます。
 私に届いている深い恩に気づき、報謝につとめて参りましょう。どうぞご参詣ください。

秋のお彼岸法要

令和7年秋のお彼岸法要は次の日程で勤めます。
どうぞご参詣ください。

9月21日(日)~9月23日(火)
各日午後1時より

法話:住職自役

~お願い~
納骨堂にご参詣の方は、ロウソクや線香など、火元の管理に十分ご注意ください。
お参り後は、納骨壇の扉を開けたままにしておいてください。


秋分の日は、太陽が真西に沈みます。先人達は、その先の西方浄土(彼岸)を想い、手を合わせお念仏なさったことでしょう。

これほど科学技術が発達し、文明が進んだ現代にも関わらず、私たちは相変わらず不安や悩みを抱えつづけ生きています。煩悩に惑い、四苦八苦に翻弄されながら悩み生きる人間の本質は、過去から何ら変わっていないということでしょう。

先人達が阿弥陀如来の浄土を想い、その人生を安らいでいかれたように、私たちも阿弥陀様のご本願を訪ね、まことの拠り所を持った確かな人生を歩ませて頂きましょう。

先日、知床方面に出掛けた際、海岸線を車で走っていると、海面に陽光が反射して、とても美しく、遠い水平線まで広がる雄大さと相まって、しばし車を止めて眺めていたくなる風景でした。しかし、7月30日に津波警報が発令された際は、東北の大震災の時にテレビで見た、現実とは思えないような光景が思い返され、美しかった海が大変恐ろしい存在にも思えました。

命を育み、美しく豊かな恵みの海も、時に荒れ狂い人智の及ばぬ自然の脅威として海も、どちらも同じ海の本質であり、その二面性故に人間は海への畏敬の念を絶やさないのかもしれません。

さて、私たちの宗祖である親鸞聖人は、著述の中に、「海」のたとえを、非常に多く使用されています。京都に生まれ、比叡の山で長く修行された親鸞聖人が、初めて海をご覧になったのは、流罪となって越後に向かわれた途中だったのでしょうか。琵琶湖よりも遙かに大きな日本海の大海原を見て、どれほどの衝撃や感動を覚えられたことでしょうか。その心境が、沢山の海の譬えとなって表れているのかもしれませんが、親鸞聖人の海の使用例にも、次のように二つの側面があります。

一つには、私たち凡夫の世界を海にたとえたもの(難度海、群生海、愛欲の広海、生死の苦海など)

二つには、阿弥陀仏の働きを海にたとえたもの(弥陀本願海、功徳大宝海、大智願海、不可思議の徳海など)

親鸞聖人にとっても「海」とは、人間の苦悩を象徴するような厳しく度し難い存在としての海と、十方世界の衆生を摂取し続けようとする阿弥陀仏の慈悲のように大きく深い海として、二面性を持って受け入れられていたのでしょう。
しかし、それらは決して別個のものとして表現されているのではありません。
煩悩と雑毒の善にまみれながら、荒れ狂う海の中で群れて漂うことしかできぬ凡夫が、ひとたび阿弥陀仏の本願に身を任せたならば、智慧と慈悲に満たされた温かく穏やかな海に浮かび、一人一人が必ず仏と成る身へと転ぜられ、輝いていくことが出来るのだという、阿弥陀仏の本願と私たち凡夫の決して離れることのない関係性が示されているように思います。