ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • 武力

    アメリカで銃の乱射事件が頻発しています。事件が起こる度、銃規制について論争となるものの、結局何も変わっていません。あれほど悲しい事件がたびたび起こっているのに、何も変わらないのは何故なのでしょう?一旦拡大した武力には、様々な要素が絡まりあって、なお一層減らしていくことが難しくなるのでしょうか。

    武器や武力とは、他人を脅し、殺傷することが目的のものです。ですから、本来は無い方が良いに決まっています。ですが、誰かが自分を護る目的で武器を持ち始めると、武器を持たない人は持っていないことに不安を覚えます。そして、「より強力な武器を持てば安心」「武器を持っているからこそ相手の攻撃を抑止できて安全になる」という、今のアメリカが陥っている負の思考回路にはまってしまいます。

    これは今、日本をはじめ世界中の国々が、他国の脅威に対抗するためにと軍事力増強に傾いている状況と同じです。

    武器・武力の増大による平穏は一時的なものです。そして、本当の平穏ではありません。「相手より強力に」と常に考えるのが人間ですから、軍拡に歯止めがきかなくなるでしょう。相手を傷つけるための武器がそこかしこに在れば、いずれどこかで暴発が起こります。

    人間同士が、愚かにも殺し合うことが無くなるように、武力を持たずして平穏を成り立たせることは出来ないのでしょうか。アメリカの銃規制が一向に進まないように、世界の軍縮も一向に進んでいきません。実に情けなく、悲しいことであります。

    お釈迦様は、このように仰っております

    われらは怨(うら)み憎しみあう人々の中にありて、怨みもなく憎しみもなく安らかに生きたい
    われらは怨み憎しみを抱く人々の中にありて、怨みも憎しみもなくありたい

    『法句経』

    私たち人間が本当に求めるべき、生き方なのではないでしょうか。


  • 洗車日和

    5月に入ってから晴れの日が続いています。
    毎年この時期になると、車を洗車して鉄粉取りをしているのですが、今年はなかなか適した天候になりません。
    晴れが続いているのに何故!?と思いますか?
    洗車に適しているのは、ほどよく雨が降った後の曇り空です。晴れた日に気持ちよく!と行きたいところですが、晴れているとボディーがすぐに熱くなりますし、最近のように乾燥していて風が強い日には、砂埃が舞ってしまい洗車には不向きなのです。

    そんな訳で、そろそろ「雨が降って欲しい」と思っている今日この頃です。しかし、子供の運動会や野球の試合がある時なら、もちろん「晴れて欲しい」と思います。雨不足で畑の野菜が萎びている時は、逆に「いい加減、雨降れよ…」と嘆きます。
    こうやって自分の都合によって、天気に文句を言ったり、喜んだりしている自分がいます。
    考えてみると、天気どころか、あらゆる物事や人に対して、自分の意に適っていれば「善」、意に反していれば「悪」、と自分勝手にレッテル貼りをしていることに気付きます。
    同じものでも、その人の都合ひとつで、全く異なる見方をしてしまう私達です。世の中から争いが絶えないのも当然と言えるでしょうか。
    自分の都合次第で、白、黒、と色が変わるメガネを外して、本質を正しく見つめることが出来る眼を持ちたいものです。