ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • 造花

     まもなく春のお彼岸を迎えます。そろそろ仏前のお供えやお花を買いに行かなくてはいけませんね。

     さて、冬の間お寺の本堂は外と同じくらい気温が下がり、生花だと半日で凍ってしまうため、日頃は造花をお飾りしています。

     造花の中には、いかにも造花という感じのものと、一目では見分けがつかないような精巧なものがあります。その違いは何なのかと比べてみると、そもそも材質が違うということもあるのですが、それと共に、精巧な作りの方には、葉や花の色・形が異なるものが混じっていることで、リアルさが感じられます。
     いかにも…という造花は、妙な光沢に加えて、葉や花が全部同じで不自然です。

     自分が育てている観葉植物を見てみると、きれいな葉ばかりでなく形がいびつなもの、黄色くなって落ちそうなもの、出てきたばかりの小さなもの、穴の開いたもの、黒ずんだもの、など見た目の違う葉が沢山入り混じっています。
     機械で大量生産する造花は、手間をかけられませんから、そのような葉や花の違いが表現しきれないのでしょう。
     全てが同じではなく、大きさや形、色、新旧、様々な違いを持ったものが、共存しているのが本当の自然の姿なのだと気付かされます。

     私たちの人間も自然の一部です。違いがあることが本当の姿なのです。
     自分と違うから、少数派だからという理由で、拒絶し排除するのではなく、あらゆる人が必要な存在として認められ、それぞれが輝いている「本当」の世の中を目指していかねばなりませんね。


  • 確かなこと

     まとまった降雪が数日間続き、境内の吹き溜まりの除雪に追われる日々がようやく一段落しました。
     道内が大荒れになった先週木曜日、私は札幌出張中で、その日の内に飛行機で帰ってくる予定だったのですが、荒天により飛行機をはじめJRもバスも全て朝から運休となり、翌日の飛行機に振り替えて帰ってくることとなりました。
     翌金曜日は札幌方面は比較的穏やかでしたが、道東方面がいまだ荒れた天候で、私が乗る飛行機は、女満別空港が天候不良で着陸できない時は新千歳空港まで引き返す、という条件付き運航のもと出発しました。1時間ほどの遅れがあったものの、何とか出発できて「やれやれ…」と思いつつも、心中は穏やかではありません。引き返すということになっては、再び面倒なことになるので、「どうか無事に到着してほしい」とただただ願うばかりでした。

     さて…約1時間後、おかげさまで、私の乗った飛行機は風に煽られながらも、無事、女満別空港に到着しました。着陸の瞬間に感じた安心感はなかなか言葉では表現しきれません

     いつもなら間違いなく到着すると信じて乗っている飛行機が、この度は「そうではなかった」ために、私の心には不安が襲いました。考えてみれば、飛行機ばかりでなく、私たちは日頃、根拠のない「確かさ」を持って、「大丈夫だろう」と勝手に信じ込んで日々の生活を送っていますが、本当は私たちの生きる世の中は、「不確か」なことばかりなはずです。
     私たち人間の心が、そもそも不実であり不確かなのですから、その人間が作り出した世の中のものごとで、絶対と言えることなど到底ありえないでしょう。

    煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

    「煩悩にまみれた凡夫である我々、そして燃え落ちる家のようにはかない無常の世の中は、あらゆることが、空虚で偽りに満ちており、真実であることはない。その中で、阿弥陀仏の本願念仏のみが、ただ一つの本当のことなのだ。」

    『歎異抄』後序

    との親鸞聖人の言葉が響きます。

     不確かさばかりの人の世にあって、こればかりは間違いないと阿弥陀仏の本願念仏を味わってゆくことができる「安心感」が、そこにあります。
     不確かな私たちの人生の中に、ただひとつ「確かなこと」を頂いている喜びを教えてくださっています。