ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • 自分を律する

     ラグビーワールドカップの決勝トーナメントが始まり、白熱した試合が続いています。日本が予選リーグを突破できなかったのは残念ですが、ベスト8に進んだ各国のプレーは、力強く速く華やかで、さすがと思える見応えのある試合を見せてくれます。 
     準々決勝の4試合はいずれも僅差のスコアで勝負を分けており、どちらのチームが勝ってもおかしくないような好試合ばかりでした。それ故に、負けた側は、大変悔しい思いをしたのではないでしょうか。
     しかし、試合後の各国のラグビー選手たちは、負けた側はその悔しさをぐっとこらえ、ノーサイドの精神に則って、相手チームの選手を讃えることを忘れません。反対に、勝ったチームも決して奢らず、必ず相手チームを讃えます。勝者も敗者も共に輝いているその場面は、いつ見ても心を打たれるのです。

     また、競技は全く別物ですが、日本国内では先日、将棋の藤井聡太さんが史上初の八冠を成し遂げ、大きなニュースとなりました。将棋においては、勝敗が決した後に、お互いが対局を振り返る「感想戦」というものがあるそうです。初めて感想戦の存在を知った時、将棋をしない私は、「試合で負けた後に、悔しさを押し殺して対局を振り返ることなんて、よく出来るな…」と思ったものです。
     これもラグビーのノーサイド精神に通じるものがあり、お互いに全力で戦ったからこそ、負けた方は胸を張って勝者を讃え、勝った方も決して奢らず、相手を認めることが出来るのでしょう。

     必ず勝者と敗者が生まれるこうした勝負の世界の中で、常に自らの心を律し、勝敗に関わらず相手を認めていくということは本当に難しいことだと思います。そのことが出来るからこそ一流のプレイヤーとなれるのかもしれませんね。

     さて、私たちは、ともすれば自分の望みに反することがあれば、そっぽを向き、自分の方が正しいのだから嫌味の一つでも言ってやろうという慢心を抱えていないでしょうか。

    邪見驕慢悪衆生
    (よこしまな考え方や間違ったものの見方をして、おごり、たかぶりの中で、生きている我ら)

    『正信念仏偈』

    との親鸞聖人の言葉が胸に刺さります。
     自分の心を律し、省みながら、互いが認め合えるような社会を実現していきたいですね。


  • 視点

     大学に進学した長男が京都から夏休みで帰省していた折、長男の部屋の上階から水漏れが発生したとマンションの管理会社から連絡が来ました。水漏れした部屋の斜め下にあたる長男の部屋の方が、真下の部屋よりも浸水がひどかったそうですが、なんとか家財道具などは水浸しにならずに済んだようです。

     しかし、後日部屋の様子を心配しながら京都に戻った長男には、それなりの試練が待っていました。

     床面は半分ほどが水につかったため、でこぼこになり、敷いていたラグにはカビが生えていました。食料を保管していたキッチンの棚にもカビが生え、食材にニオイが移っていました。トイレや風呂にも、汚れた形跡があり、何よりも部屋全体がカビ臭くて、生活がままならない状況だったようです。
     しばらくホテル住まいをしながら、管理会社や保険会社と修繕対応の話を進めました。修繕完了までは1~2ヶ月はかかるらしく、それまで代わりの部屋を管理会社に用意してもらう必要があるようです。

     こうして文章にすると、それほどのことでは無いように思われますが、まだ一人暮らしをはじめて半年ほどの長男が、これらのすべてを自分ひとりで対応するのは、なかなか大変だったようです。(実際には、私や妻に何度も電話で相談し、「勘弁して」と頭を抱えながら、進めていました。)
     しかし現在は、まだ仮部屋も決まっていないものの、先の見通しが立ったことで、当初の混乱は落ち着き、多少の心の余裕が出来ました。

     さて、長男は当初、このような状況に困惑し、「何でこんな目に遇わなくてはいけないんだ」と嘆いていました。しかし、心に余裕ができた今は、「まぁこれもいい社会勉強になった」と言っています。「漏水事故」に対して、当初は「迷惑極まりない」と感じていた長男が、視点を変えることによって「自分を成長させる出来事」として受け止めることができたようです。

     物事の見方ひとつで、同じ出来事でも全く受け止め方が異なってくるのですね。

     このことは、私たちの身の回りに起こるすべての出来事に当てはまります。私たちは人生の中で、様々な悲苦に出あわなくてはなりません。必ず起こる困難を、どの視点から見つめていくかが肝心です。

     悲嘆にくれ、愚痴をこぼし、「ああしておけば・・・」と悔やんでばかりよりも、辛く苦しいあの出来事も、私の人生の大切な1コマだったのだな、と受け止められる視点をもって生きていきたいものです。