ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • シーズン到来

     北海道にも遅い春がやってきました。息子が所属している少年野球チームの活動もいよいよ本格始動です。
     先週末から、練習試合が続いていましたが、四戦全勝と今までにないほど好調な滑り出しで、今シーズンは応援する側も力が入りそうです。

     さて、スポーツは必ず勝ち負けの結果が生まれます。たとえ今は連勝していても、いずれ強豪チームに負けを喫する日が来るでしょう。長い目でみれば悔しく辛い思いをすることの方がきっと多いはずなのに、なぜスポーツをする人はいなくならないのでしょう。

     それは言うまでも無く、スポーツには悔しさ以上の喜びや楽しさがあるからですね。

     スポーツ(特にチームスポーツ)は独りでは行えません。チームメイト、相手、監督やコーチ、サポートしてくれるスタッフ、応援してくれる人、それ以外にも沢山の支えや協力があって成り立ちます。

     このことは、世の中の全ての事物は、ただそれだけで存在しているのではなく、無数の縁によって繋がりあって初めて存在し得るという仏教の考え方に通じますね。

     そのことに気付いてスポーツに取り組むと、その楽しさや喜びは一層深まってゆくようにも思いますし、取り組む姿勢も変わってくるかもしれません。

     少年野球も同じ事が言えます。小学生には少々難しいかもしれませんが、ぜひ大切なことに気付いて欲しいと願います。そして、一層楽しく野球に取り組んで欲しいものです。


  • 言葉

    3月1日。
    高校三年生の長男の卒業式に出席して参りました。

    コロナによって、大切な高校三年間を、沢山の苦労や我慢と共に生活することになった彼ら。これからの新しい日々が、希望に溢れ、明るく照らされていくことを願うばかりです。

    さて、彼らは今後広い社会に出て、より多くの「言葉」に出遇うことでしょう。私たちは言語を用いて思考し、活動しますから、どのような言葉に出遇うかということは、とても重要です。学業や仕事に励む中で、きっと自らが支えられ、人生の導きとなるような素晴らしい言葉との出遇いがあるはずです。

    「善悪の二つ総じてもつて存知せざるなり。
      中略
    煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」

    『歎異抄』後序

    私は、大学に進んだ頃、この『歎異抄』の一節に初めて出遇って大きな衝撃を受けました。それまでの私の考え方や知識をひっくり返すような力のある言葉でした。

    親鸞という人物は一体何を伝えたのか、そして、その人が「ただひとつのまこと」と言った念仏とは何なのだろうと、この『歎異抄』の言葉を通して、浄土真宗の教えに深く興味を抱いたことでありました。

    「そらごと」「たわごと」が溢れかえる世の中だが、しかしその中で、自分の人生を支えてくれる「まこと」の言葉がある。親鸞聖人は、それが「南無阿弥陀仏」なのだと受け止められています。親鸞聖人も、法然上人を通じて、念仏というまことの言葉に出遇い、何度挫折しようとも立ち上がり歩んで来られたのでしょう。

    「ほんとう」の言葉には、自らを支えてくれる大きな力があります。人生を照らし、歩む道を明らかにしてくれる、かけがえのない言葉に、どうか彼らが出遇えますように・・・心から願っています。