ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • スギナ

     だんだんと温かくなり、草木が芽吹き、花が咲く、素敵な時候になって参りました。

     軒先にある私の家庭菜園と花壇も、緑が鮮やかになって参りました。が、しかしちょっと手入れをサボっている内に、花壇にはスギナがぐんぐん成長し、存在感を放ち始めました。

     いよいよ見て見ぬふりができなくなってきましたので、昨日ようやく雑草抜きに取りかかったのですが、立派に成長したスギナのたくましさには驚かされました。

     スギナは地下茎を伸ばして増えますが、一体どこまで繋がっているのか…と思うほど、長く立派な根が埋まっています。全て掘り返す訳にもいかず、「どうせまた伸びてくるよね」と溜息をこぼしながら、引っこ抜いていました。

     そうやって、あれこれ考えながら作業している内に、見えないところで根が繋がりあって、土の表面に出てきているスギナの様子を見て、
    「これって人間も一緒だな。みんな見えないところでご縁によって繋がっているんだな。」
    ということを、ふと、思いました。

     自分の目の前にいる人は、どれだけ深い縁をもって見えないところで繋がっていたことか…。

    「一切(いっさい)の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟(ぶもきょうだい)なり。」

     (すべての生きとし生けるものは、みな生まれ変わり死に変わりする中で、父母であり兄弟であったのだ)

    『歎異抄』第5条

    と親鸞聖人が仰っているように、私たちの想いが及ばないほど深いところで、みな繋がり合い、たまたま縁あって、いま出遇うことが出来ているのでしょう。

     今は、コロナによって「人付き合い」というものが変化し、以前より、人間同士のつながりが希薄になっているかもしれません。そういう時だからこそ、せっかく出会うことが出来た目の前の人とのご縁の深さに想いを致し、その出遇いを大切にしていかなくてならないな、と改めて感じさせられます。

     やっかいなスギナが、何だか大事なことを教えてくれたような気がします。…だとしても、そんなに生えてこないで…。


  • シーズン到来

     北海道にも遅い春がやってきました。息子が所属している少年野球チームの活動もいよいよ本格始動です。
     先週末から、練習試合が続いていましたが、四戦全勝と今までにないほど好調な滑り出しで、今シーズンは応援する側も力が入りそうです。

     さて、スポーツは必ず勝ち負けの結果が生まれます。たとえ今は連勝していても、いずれ強豪チームに負けを喫する日が来るでしょう。長い目でみれば悔しく辛い思いをすることの方がきっと多いはずなのに、なぜスポーツをする人はいなくならないのでしょう。

     それは言うまでも無く、スポーツには悔しさ以上の喜びや楽しさがあるからですね。

     スポーツ(特にチームスポーツ)は独りでは行えません。チームメイト、相手、監督やコーチ、サポートしてくれるスタッフ、応援してくれる人、それ以外にも沢山の支えや協力があって成り立ちます。

     このことは、世の中の全ての事物は、ただそれだけで存在しているのではなく、無数の縁によって繋がりあって初めて存在し得るという仏教の考え方に通じますね。

     そのことに気付いてスポーツに取り組むと、その楽しさや喜びは一層深まってゆくようにも思いますし、取り組む姿勢も変わってくるかもしれません。

     少年野球も同じ事が言えます。小学生には少々難しいかもしれませんが、ぜひ大切なことに気付いて欲しいと願います。そして、一層楽しく野球に取り組んで欲しいものです。