毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。
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言葉
3月1日。
高校三年生の長男の卒業式に出席して参りました。コロナによって、大切な高校三年間を、沢山の苦労や我慢と共に生活することになった彼ら。これからの新しい日々が、希望に溢れ、明るく照らされていくことを願うばかりです。
さて、彼らは今後広い社会に出て、より多くの「言葉」に出遇うことでしょう。私たちは言語を用いて思考し、活動しますから、どのような言葉に出遇うかということは、とても重要です。学業や仕事に励む中で、きっと自らが支えられ、人生の導きとなるような素晴らしい言葉との出遇いがあるはずです。
「善悪の二つ総じてもつて存知せざるなり。
『歎異抄』後序
中略
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」私は、大学に進んだ頃、この『歎異抄』の一節に初めて出遇って大きな衝撃を受けました。それまでの私の考え方や知識をひっくり返すような力のある言葉でした。
親鸞という人物は一体何を伝えたのか、そして、その人が「ただひとつのまこと」と言った念仏とは何なのだろうと、この『歎異抄』の言葉を通して、浄土真宗の教えに深く興味を抱いたことでありました。
「そらごと」「たわごと」が溢れかえる世の中だが、しかしその中で、自分の人生を支えてくれる「まこと」の言葉がある。親鸞聖人は、それが「南無阿弥陀仏」なのだと受け止められています。親鸞聖人も、法然上人を通じて、念仏というまことの言葉に出遇い、何度挫折しようとも立ち上がり歩んで来られたのでしょう。
「ほんとう」の言葉には、自らを支えてくれる大きな力があります。人生を照らし、歩む道を明らかにしてくれる、かけがえのない言葉に、どうか彼らが出遇えますように・・・心から願っています。
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鎌倉時代
昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を後から見ようと全話録画したままになっていました。
それをようやく年明けから見始め、先日最終回を迎えました。今さらですが「鎌倉ロス」です…。
終盤は一日一話どころか、時間の許す限り見入ってしまいました。
物語は、伊豆の小さな豪族に過ぎなかった北条家が、鎌倉幕府の執権として権力を掴んでいく様子が描かれました。
中盤から終盤にかけては、鎌倉や北条家に仇となる人物は悉く、執権となった北条義時の謀略によって命が奪われていくという重たい展開だったものの、登場人物には人間くささが溢れ、心打たれる場面も多く、見続けてしまった次第です。ところで、鎌倉で有名なものの一つに「大仏」があります。鎌倉の大仏は、1252(建長4)年に鋳造が開始されたこと以外、はっきりしたことは分かっていないそうですが、一説によれば、奈良の大仏の復旧に尽力した源頼朝と北条政子が、鎌倉にも大仏建立を発願したとか。
頼朝はその数年後に没したため、完成を見ることはなかったそうですが、その意思は後の者に引き継がれ、関東を代表する見事な大仏が完成したのですね。
大河ドラマの作中では、大仏に関わる話には触れられなかったものの、登場人物が神仏に祈るシーンは、たびたび出て参りました。その描写の通り、当時の人々は、私たち現代人よりもはるかに神仏の存在を身近に感じ取り、畏れ敬っていたのでしょう。ちなみに、鎌倉の大仏さまは、私たち真宗門徒が拠り所としている「阿弥陀如来」です。奈良の大仏さま(盧舎那仏)とは異なる阿弥陀如来像を建立した理由は詳しく分かりませんが、源頼朝や北条政子をはじめ、鎌倉の多くの人々が阿弥陀仏を信じ、極楽浄土への往生を願っていたのかもしれません。
ドラマで描かれていたように、国を統治していくために人の命がいとも簡単に奪われていく戦乱の世では、阿弥陀仏の浄土を願わずにはおれなかったのでしょうか。鎌倉時代初期は、法然上人や親鸞聖人がご活躍なされた真っ只中です。法然上人の法語録には、北条政子との手紙のやり取りと言われる言葉が残っていますが、果たして二人がどこかで実際に顔を合わせ、法然上人の教えを政子が聞いたことはあったのか・・・。
また、親鸞聖人が関東にいらっしゃった頃、鎌倉との関わりはあったのか・・・。
いろいろと空想が膨らむこの頃です。