ひと言法話

毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。


  • 報恩講

    親鸞聖人は、旧暦1262年11月28日に御往生されたと伝えられています。京都の本山興正寺では11月21日から28日まで、親鸞聖人の御命日法要である「報恩講」を勤修しています。
    また、宗門の各末寺でも、本山報恩講と時期が重ならないように日程を調整し、報恩講を勤めます。(東光寺は毎年8月24日~25日です。)

    報恩講とは「御恩に報いる」法要ということですが、日頃、我々はどれほど「恩」ということを、意識しながら生活しているでしょうか?

    私と言えば、たくさんの「お陰様」の中で、支えられ助けられ、よっぽどの深いご縁があって、ようやくお念仏の教えに出遇わさせてもらっているはずなのに、それをすっかり当たり前のような顔をして、毎日を過ごしています。

    如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
    師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

    『正像末和讃』

    いつもご家庭でのお勤めの時に、拝読している『恩徳讃』です。
    親鸞聖人は、自らが感じ取られた阿弥陀如来の御恩、そして師主知識(お釈迦様や七高僧さま)の御恩に対する、深い感謝をこの和讃に込められています。

    私たちも、まずは自らが頂いている御恩に気付いていかなくては、報謝の気持ちも起こって参りません。

    本日は親鸞聖人の760年目の御命日をお迎えしました。改めて一人一人が自分が頂いている御恩に心をかたむけて参りましょう。
    また近隣の御門徒さまのご家庭には、12月から1月にかけて報恩講づとめに参ります。どうぞ一緒に「正信偈」を拝読し、お念仏の御教えを味わう中で、御恩の深さに想いを致す大切な機会にして参りましょう。


  • まっさらな一日がはじまる

    気がつけば、もう11月です。今年も残り2ヶ月です。
    「ひとこと法話を更新せねば…」と思いながら、ついつい先延ばしにし、結局10月は更新しないままに終わってしまいました。
    反省です。

    思えばこの一年も、
    「明日がある」「明日やればいい」
    そんな考え方を繰り返し、気づけばあっという間に過ぎ去ってしまいました。

    先日、パラパラとめくっていた雑誌の中に
    「今日もまた まっさらな一日がはじまる」
    という言葉がありました。

    何となく過ごす日々を繰り返し、一日一日、新しい自分が誕生していることなどすっかり忘れ切っている私。
    新しい一日を迎えられたことを喜び、そして、せっかく迎えられたその一日を、精一杯生きていかなくては勿体ない。

    たまたま出遇った言葉に、大事なことを気付かされました。

    ただ、それでもやっぱり怠け心が先陣きってはたらく自分がいます。