毎月一つか二つ、日々の生活の中での法味をお伝えして参ります。
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まっさらな一日がはじまる
気がつけば、もう11月です。今年も残り2ヶ月です。
「ひとこと法話を更新せねば…」と思いながら、ついつい先延ばしにし、結局10月は更新しないままに終わってしまいました。
反省です。思えばこの一年も、
「明日がある」「明日やればいい」
そんな考え方を繰り返し、気づけばあっという間に過ぎ去ってしまいました。先日、パラパラとめくっていた雑誌の中に
「今日もまた まっさらな一日がはじまる」
という言葉がありました。何となく過ごす日々を繰り返し、一日一日、新しい自分が誕生していることなどすっかり忘れ切っている私。
新しい一日を迎えられたことを喜び、そして、せっかく迎えられたその一日を、精一杯生きていかなくては勿体ない。たまたま出遇った言葉に、大事なことを気付かされました。
ただ、それでもやっぱり怠け心が先陣きってはたらく自分がいます。
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弔い
弔いの場で故人を悼み、献げられる花や物品があります。そのことが最近気になります。
先般、日本の元首相や、英国女王の国葬について盛んに報道され、多くの人々が献花に訪れる様子を目にしました。また、事件や事故によって悲しくも命を失った人を悼み、現場に献げられている沢山の花や物品の様子もしばしばニュース番組で目にします。
故人を偲び、哀悼の心から、お花や物品を献げたいという気持ちは充分に理解できますし、亡き人への哀悼の心は持つべきでありましょう。
しかし、あの大量の花やお菓子、ジュースなどは、その後どうなるのでしょうか?その事が妙に気になるのです。
おそらく、関係者のどなたかが担当となって片付けるのでしょうが、花も物品もすべて廃棄するのでしょうか?そうだとすれば、花を覆う包装を外すこと一つでも大変な手間な上に、それ以外の物品の分別も必要でしょう。そして相当量の廃棄物が生まれてしまいます。
故人の為に何かしてあげたいという心は温かく尊いものです。
しかし、その心を形に表した後のことについても、一度考えてみる必要があるのではないでしょうか?私たちには、「合掌」「礼拝」という行いがあります。手を合わせ、頭を下げ、大切な方を想うことのできる大切な行いです。
心を込めて、しばし合掌、礼拝する。その後、哀悼の想いと共に献げた品は持ち帰るということも選択肢の一つとして考えてみても良いのではないでしょうか。